第43回 2009.9.18

講談 旭堂 南鱗 昭和51年4月入門。三代目南陵門下。講談もできる相撲解説者。

「水戸黄門漫遊記・仙台入り」

 

落語 笑福亭仁勇 昭和52年4月入門。仁鶴門下。お祭り大好き・踊り大好き

「死神」

 古典落語の演目の一つ。原話はグリム童話の「死神の名付け親」で、それと共通する死神説話を歌劇化したイタリア・オペラ「クリスピーノと代母」から、またはグリム童話から直接三遊亭圓朝が日本に輸入し翻案したとされています。

落語 森乃 石松 平成15年1月入門。福郎門下。食虫植物観察が趣味

「播州巡り」

 

 

第42回 2009.5.22

講談 旭堂 南鱗

「出世の白餅」

 藤堂高虎は加藤清正と並ぶ築城の名手で、町割り、今でいう都市開発にも長けた人物であった。家康から江戸の町割りを依頼された時に、伊勢・伊賀の領主であった彼は、自国の地名を多く江戸の町名にしたのだ。

 機を見るに敏と申すのか、時勢を見ることが得意だった彼は、最初は出身地近江を統治していた浅井氏に仕えたが、織田に攻め込まれると、織田の家臣と成る。織田がダメに成ってくると、羽柴秀頼に、こりゃいけると思った秀吉の弟、秀長とその息子秀俊に忠義を尽くそうと思ったが、相次いで亡くなってしまい、こりゃもうダメだと高野山で剃髪をし、出家得度を成さんとしたが、秀吉に呼び戻され、朝鮮の役に出兵。結構な戦績を上げると怪我を理由に帰国。もうぼちぼち豊臣も落ち目やなぁと感じてきたので、徳川家康と接触。関ヶ原の合戦は東軍の味方をし、この功績により、伊勢・伊賀両国を拝領することになる。
 武士道というものが確立していなかった時代であるから、生き残る為に何でもしたような武将だ。強気のはったり、策略、人を見抜く目。これが、藤堂高虎を戦国の世を渡らせる武器であった。彼の肖像画が残っている。穏やかそうな目の細いおじいさんだ。平和な世の中になりつつある時期に描かれたものだろうか。上野にも中ノ島にも、桜は来年も綺麗な花を咲かせるだろう。激動の時代を生きた人は、この現代の桜をどう見るのか、少し聞いてみたい気もする

落語 笑福亭仁嬌

「天狗裁き」

 古典落語の演目。もともとは上方落語の演目の一つである。長編落語「羽団扇」(演じ手は2代目三遊亭円歌など)の前半部分が独立して、一席の落語となった。現在の演出は上方の3代目桂米朝が発掘・再構成し復活させたもとによる。

 

落語 桂 さん都

「みかん屋」

第41回 2009.1.23

残念ながら写真はありません。

落語 桂  文喬「住吉駕籠」

講談 旭堂 南鱗「木津の勘助」

落語 林家 笑丸「みかん屋」